日本神話(古事記)

[34]ヤマトタケルついに力尽きる

ヤマトタケルは伊服岐の山の神を素手で倒すと言って山に登ったんだけど
ふもとで出会った白いイノシシは牛のように大きかったんだ。
ヤマトタケルは、白いイノシシは山の神の 使いだろうから、今殺さなくても
帰りに殺せばいいと言って山を登ったよ。

ると山の神が、激しい雹(ヒョウ)を降らせ、ヤマトタケルの正気を失わせたんだ。

この白い猪は神の使いではなく、その山の神そのものだったんだけど、ヤマトタケルの勘違いで「神の使い」と言ってしまったために、怒りを買ってしまったよ。

ヤマトタケルは帰ろうと山を下りたんだけど、その途中、岐阜県関ケ原町の玉倉部(タマクラベ)の清水(シミズ)にたどり着き、休息すると、落ち着いてきたんだ。

そこから当芸野(タギノ)のあたりに到着したとき、
ヤマトタケルは、私の心は空を飛ぶくらいに元気だったのに、今は歩くのも難しく
足もタギタギしい[道のアップダウンも激しく足も曲がってはれてあがっている]と言ったよ。

それでこの地を当芸(タギ)[現在の岐阜県養老郡養老町とも言われている]と呼ぶようになったんだ。

更に進むとヤマトタケルはひどく疲れてしまい、杖をついてようやく歩けるほどになってしまったよ。

ヤマトタケルは尾津前(オツノサキ)[三重県桑名郡多度町]の一松(ヒトツマツ)の元に到着したんだけど、前にここで食事をしたときに忘れた方ながそのまま残っていたんだ。

そこを出て三重の村についたときヤマトタケルは
足は三重に曲がったまがり餅のようで、とても疲れたと言ったので
そこでその土地を「三重」と呼ぶようになったよ。

 

そこから進んで能煩野(ノボノ)[三重県鈴鹿市加佐登町のあたり]に到着して、
故郷を想い歌ったんだ。

大和は囲まれた国山々は青い垣のように居並び
その山々に守られてやまとは麗しい国

ヤマトタケルはさらに歌ったよ。

まだ先の長い人は
平群の山のくま樫の葉っぱを
髪に飾るといい

この歌は故郷を褒める歌だよ。
ヤマトタケルはさらに歌ったんだ

愛しい我が家の方角に
雲が立っているなぁ……

この歌の片歌を歌ったところで
ヤマトタケルの病状が悪化したよ。

それでも歌を読んで

美夜受比売ミヤズヒメ
の床に置いてきた、あの剣の太刀!
あぁ、太刀が恋しい。。。

そう歌い終わって、ヤマトタケルは死んでしまったんだ。
このことを伝えるため、早馬を走らせて、大和に報告しました。

大和にいたヤマトタケルの妻達と子供達は、皆、大和から下ってヤマトタケルが亡くなった場所に来て、お墓をつくり、墓の周囲の田んぼを這い回って、泣きながら歌を歌ったよ。

ヤマトタケルの魂は大きな白い鳥となって、空を飛び、海の方へと飛んで行ったんだ。
后と子供達は、竹の切り株に足を切られても、その痛みに気づかないまま鳥の後を追いながら
4つの歌を歌ったよ。

この4つの歌は、ヤマトタケルの葬儀に歌われたんだけど、現在でも、天皇の葬儀の際にはこれらの歌を歌うんだ。

鳥になったヤマトタケルの魂が伊勢から飛び立って、河河内国の志幾(シキ)に留まったので
その地にもヤマトタケルの墓を作ったよ。その墓は「白鳥御陵(シラトリノミハカ)」と名づけられたんだ。

それでも白鳥はそこからまた飛び立って天に向かって飛んで行ったよ。

ヤマトタケルが東征したときに、久米直(クメノアタヒ)の祖先の七拳脛ナナツカハギが料理人としてしたがっていたんだ。