13代成務天皇(若帯日子)は近江の志賀の高穴穂宮(タカアナホノミヤ)で天下を治めたよ。
弟財郎女を妻として生んだ子が和訶奴気王だよ。
成務天皇は建内宿禰を大臣として、大国小国の国造(クニノミヤツコ)を定め、また国境を定め、また大小の県を定め、県主(アガタヌシ)を定めたんだ。
成務天皇は95歳で亡くなったよ。
お墓は沙紀(サキ)の多他那美(タタナミ)にあるんだ。
奈良県奈良市山陵町の古墳とされてるよ。
ちなみに、建内宿禰は孝元天皇の子孫で、成務天皇・仲哀天皇(と神功皇后)・応神天皇・仁徳天皇の4代天皇に仕えている、一体何歳なの!?
成務天皇は様々な業績を残したんだけど、和訶奴気王は幼くして亡くなったのか皇太子とはせず、ヤマトタケルの息子仲哀を皇太子に立てたよ。