日本神話(古事記)

[55]23代 顕宗(けんぞう)天皇

履中天皇の子供の市辺忍歯別王イチノヘノオシハノワケノミコ(雄略天皇に殺された)の子供の弟の方、袁祁命ヲケノミコトこと顕宗天皇は近つ飛鳥宮(チカツアスカノミヤ)大阪府羽曳野市飛鳥で、8年間天下を治めたよ。

顕宗天皇は石木王イワキノミコの娘の難波王ナニワノミコを妻にしたけど子はいなかったんだ。

顕宗天皇は天皇になってやるべきことがいろいろとあったよ。

まず、父である市辺忍歯別王イチノヘノオシハノワケノミコの遺体を探していたんだけど
近江の国にいた身分の低い老婆が遺体を埋めた場所を覚えていると言ったので探すと
確かにその歯は市辺忍歯別王イチノヘノオシハノワケノミコの特徴のある先が3つに別れた八重歯だったよ。

ちなみに市辺忍歯別王イチノヘノオシハノワケノミコは、韓帒カラフクロにいいスポットを教えてもらい、後の雄略天皇である大長谷王オオハツセノミコと狩りに行ったときに、射殺され遺体をバラバラされ埋められたあの人だよ!

そのお話はこのページにあるよ≫

そこで殺害現場の蚊屋野(カヤノ)の東の山(=滋賀県蒲生郡日野町鎌掛付近)に御陵を作って埋葬し、韓帒カラフクロの子達にその御陵を守らせて、後に遺骨を大和へ持って帰ったんだ。

顕宗天皇は、この遺骨の場所を覚えていた身分の低い老婆を呼び寄せて大事にし、宮中の自分の近くに住まわせ置目老媼オキメノオウナという名前を与えて、用事があると大きな鈴を鳴らして、毎日のように呼びだしていたよ。

置目老媼オキメノオウナは年をとったのでそろそろ故郷に帰るといったので、寂しくなるけど天皇は見送ったんだ。

次に天皇がやったのは、ずっと昔、意富祁命オオケノミコト袁祁命ヲケノミコトが逃げていたときに食べていた乾飯(かれいい)を奪った猪甘イカイの老人を探すことだったよ。しっかり探しだして殺 し、その子どもたちは皆歩けないようにしたよ。

さらに天皇は、父を殺した大長谷王オオハツセノミコ(=雄略天皇)を深く恨んでいたので、その御霊に報復したいと思っていたんだ。

兄の意富祁命オオケノミコトは他人に頼むようなことではないので、自分が行くと言って
御陵に行き、隅の方を少しだけ掘って戻ってきたよ。

天皇は、兄のあまりに早い帰宅を不思議に思い聞いたら、父親の仇討ちはしたいけど、一応叔父だし、しかも天下を治めた天皇だし、その御陵を壊したとなると自分たちが避難されてしまうから、隅を掘るだけにしたと答えたんだ。
それに、天皇は納得したよ。


顕宗天皇は38歳で崩御し、お墓は片岡の石杯(イワツキ)の岡の上(奈良県香芝市北今市にある傍丘磐坏丘南陵)にあるよ。