応神天皇は、軽島(カルシマ)の明宮(アキラノミヤ)[所在地:奈良県橿原市大軽町 春日神社境内]で天下を治めたよ。
応神天皇が息子の大山守命と大雀命に
年上の子と年下の子とどちらが可愛いかとたずねたんだ。
応神天皇は、一番年下の宇遅能和紀郎子に天下を継がせたいという気持ちがあったよ。
大山守命は「年上の子がかわいい」と答えたんだけど
大雀命は天皇の気持ちを察して「年上の子は心配することないが、年下の子はまだ子供なのでかわいい」と答えたんだ。
大雀命は自分の考えと同じなので国を治めるよう命じ、大山守命には山と海を治めるよう命じ、宇遅能和紀郎子には皇太子を名乗るように命じたよ。
宇遅能和紀郎子誕生の話
その昔のある日のこと、応神天皇は近江国(現在の滋賀)へと山を越えて行ったとき
宇治野(現在の宇治)のあたりに立って、葛野(カドノ:現在の太秦あたり)を遠くに見て
葛野を見ると、沢山の家が見える。国のすばらしいところも見えると歌ったんだ。
木幡村(現宇治市内)に応神天皇が到着したとき、美しい娘と会ったので
誰の子かたずねると娘は、丸邇の比布礼能意富美の娘で、名前は宮主矢河枝比売だと答えたよ。
応神天皇は明日都に帰るので矢河枝比売の家に立ち寄ろうと思うと言ったので
矢河枝比売はそのことを詳しく父親に話したんだ。
父親は、それは天皇に違いないので、しっかりお仕えしなさと言い、部屋をきれいにして待っていたよ。
すると翌日天皇がやってきて歌を歌い、寝床に入ったんだ。
そこで応神天皇と矢河枝比売の間に生まれた子が宇遅能和紀郎子だよ。
大雀命(オオサザキ)と髪長比売(カミナガヒメ)
応神天皇は、日向国(現在の宮崎県)の諸県君(モロガタノキミ)の娘の髪長比売がとても美しいと聞いて、妻に欲しいと思って呼び寄せたよ。
息子の大雀命は髪長比売が船でやってきて難波津に一泊したときに会い、あまりの美貌に感動して、建内宿禰に「応神天皇にお願いして髪長比売を、私に譲るよう言ってくれ」と言ったんだ。
建内宿禰がそれを天皇に願い出ると、すぐに髪長比売を大雀命に譲って結婚式をあげたよ。