雄略天皇と一言主神
ある時、雄略天皇は狩りのため葛城の山に登ったんだけど、大きな猪がでてきたんだ。
鳴鏑(なりかぶら)という音のなる矢を射ったけど、猪は唸り声をあげながら追ってきたので恐ろしくなって情けなくも木に登ったよ。
ちょっとみっともないと思ったのか、日本書紀では木に登ったのは天皇ではなく、家臣ということになってるんだ。
後日、また葛城の山に登ったとき、たくさんの家臣たちを引き連れ、全員に紅い紐をつけた青摺(アオズリ)のオリジナルお揃いコーデをさせていたよ。
すると向かいの山の尾根に全く同じような天皇の行列ができていたので、この国に自分以外に王はいないのにだれだ?
と問うたんだけど、相手も全く同じ質問を返してきたんだ。
天皇は怒って矢を放とうと構えたら、相手も同じように矢をかまえたので、お互い名を名乗って矢を射ることにしたんだけど、相手は「悪い事も一言、善い事も一言で言葉を放つ一言主大神だ」と名乗ったよ。
天皇は一言主大神が自らお姿を現されるとは!といたく恐れ入って、身につけた太刀や弓矢、家臣のオソロコーデ衣装も全て脱がせ献上したんだ。
一言主神は手を叩いて喜んで登山口まで見送ってくれたよ。
袁杼比売と采女
雄略天皇は丸邇の佐都紀臣の娘の袁杼比売と結婚しようとして
春日へ行った時、本人とばったり鉢合わせたんだけど、袁杼比売は岡に逃げ込んで隠れてしまったよ。
いま、金属の鋤(スキ)が500個あれば乙女が隠れた岡を、鋤でならして見つけ出せるのになぁ
と、(ストーキング気質な)歌を歌ったのでここがて金鋤岡(カナスキノオカ=地名だけど未詳)となったんだ。
また、天皇がよく茂った榊の下で宴会をしていたとき、三重の采女(=地方氏族の娘を宮に奉仕させた。その少女のこと)が大きな盃を献上したんだけど、そのお酒の中に榊の葉っぱが落ちて浮いていることを知らなかったからそのまま天皇に渡してしまったんだ。
天皇はそれを見て采女を押し倒し、殺そうと刀を首に突きつけたよ。
すると采女は殺すのは待ってくれと、歌を歌ったんだ。
お酒に落ちた榊の葉はまるで、浮いた油のように漂って水がコオロコオロとしている
まるで神世七代(かみのよななよ)の末の子が舞い降りた
伊邪那岐命と伊邪那美命が水をこおろこおろと掻(か)き混ぜて作った淤能碁呂島(おのごろじま)の、あの神話みたいじゃないですかと。
この歌で許された采女には多くのご褒美を送ったよ。
そのあと、春日で岡に隠れた袁杼比売が大御酒(オオミキ)を献上したんだけど
とっくりがとっても大きくてつぎにくい様子をみて、天皇がしっかりもちなさいという歌を歌うんだ。
袁杼比売は、あなたの脇息(キョウソク=時代劇に見る寝具の横にある寄りかかる小さな台のアレ)の下の板になりたいものですと歌を返したよ。
天皇は124歳で亡くなったんだ。
陵は河内の多治比高鸇(タジヒノタカワシ=大阪府羽曳野市島泉)にあるよ。