三人目の女 女鳥王
三人目は、八田若郎女の妹、女鳥王だよ。
仁徳天皇は、腹違いの弟の速総別王に仲を取り持ってもらったんだけど
女鳥王は嫉妬深い大后のせいで后になれない姉の八田若郎女の一部始終を見ていたので、自分は天皇の妻になる気はないと言って、速総別王の妻になったんだ。
速速総別王はそのことを仁徳天皇に報告しなかったので、
女鳥王が機織りをしていると直々に仁徳天皇がやってきたよ。
誰のために機を織っているのかたずねると、速総別王のためだと答えたので
仁徳天皇は二人の仲を知って宮廷に帰ったんだ。
それでも女鳥王は速総別王に仁徳天皇を殺してと頼んだよ。
仁徳天皇はこれを知ってすぐに兵を出し、二人を殺そうとしたんだけど
二人は倉椅山(クラハシヤマ=奈良県桜井市倉橋の南の山)まで逃げたんだ。
倉椅山は険しいけど愛する人と登ると苦にならないと歌ってから、更に逃げて
宇陀(ウダ)の蘇邇(ソニ=奈良県宇陀郡曽爾村)に着いたとき仁徳天皇の軍に追いつかれて殺されてしまったよ。
軍の山部大楯連とその妻
その軍の将軍の山部大楯連は、殺した女鳥王が手に巻いていた玉釧(タマクシロ)というブレスレットを剥ぎ取って、自分の妻にあげたよ。
これが後に大事件となるんだ(TдT)
それからしばらくして、宮廷で宴会が開かれたとき、各氏族の妻たちもみんな参加するよう呼ばれたよ。
もちろん山部大楯連の妻も参加したんだけど、腕にはあの女鳥王の玉釧(タマクシロ)を巻いていたんだ。
大后の石之日売命(イワノヒメノミコト)が妻たちに大酒を注いだ柏の葉を配ってまわっていたとき、女鳥王の玉釧のブレスレットに気づいてすぐさま妻を退席させたよ。
それから山部大楯連を呼び出して、ただちに処刑したんだ。
その後仁徳天皇は、300歳超えのご長寿 建内宿禰命と歌をよみあったり
木で船を作ったり、琴を作ったりして83歳で亡くなったよ。
お墓は大阪府堺市堺区大仙町にある仁徳天皇陵だよ。