吉野の国梄(奈良県吉野の豪族)たちが、お約束の歌を歌い朝廷に食料を献上したよ。
この応神天皇の時代に海部・山部・山守部・伊勢部などの制度が定められ、
灌漑用水のための剣の池(つるぎのいけ)が作られたんだ。
また、新羅の人がやって来て、
百済の王、
すると
鍛治師や、呉服(くれはとり)とよばれる織物の技術師、酒の醸造のスペシャリストなど、いろいろな技術者が大陸からやってきたんだ。
酒の醸造家ススコリが、酒を醸して応神に献上したので、応神はついつい飲みすぎてしまい酔っ払ってしまて外に出て、道の真ん中の石を杖で避けようとしたら石が逃げたよ。
そこから「硬い石も酔っ払いは避ける」ということわざがはやったんだ。
その後応神天皇は110歳で亡くなったよ。