日本神話(古事記)

[38]神功皇后の帰国

神功皇后が朝鮮出兵から大和へと帰ろうとしたとき、謀反の企ての噂がきこえてきたよ。

そこで、棺を乗せた船「喪船モフネ」を用意して、ホンダワケ(応神天皇)をその船に乗せ、
ホンダワケが亡くなったという噂をたてたんだ。

斗賀野(トガノ)[今の大阪市北区兎我野町]で香坂王カゴサカノミコ忍熊王オシクマノミコ兄弟が皇后を殺そうと待ち伏せしていたよ。
香坂王カゴサカノミコ忍熊王オシクマノミコ兄弟は仲哀天皇の子供で、応神天皇の腹違いの兄弟だよ。

ふたりは戦いの吉凶を狩によって占う「誓約狩(ウケイガリ)」をしたんだけど
兄の香坂王カゴサカノミコがクヌギの木に登って見ていると、怒り狂った猪やってきて、クヌギを倒し、香坂王カゴサカノミコを食い殺してしまったんだ。

これは完全に凶!
でも、弟の忍熊王オシクマノミコは、その占いの結果を無視して喪船モフネを迎えて攻撃したよ。

神功皇后は船から軍隊を降ろして、戦ったんだ。
忍熊王オシクマノミコは後退していき、山城までいったけど、持ち直して、膠着状態になったよ。

応神が将軍に任命した、建振熊命タケフルクマノミコト
「オキナガタラシヒメ(神功皇后)は、すでに亡くなりました。これ以上、戦う理由はありません」と言って、弓のツルを切り、偽りの降伏したんだ。

すると敵方の将軍、伊佐比宿禰イサヒノスクネはその嘘を信じて、弓のツルを外し、武器を収めたよ。

そこで、神功皇后の軍勢は、髪を束ねていた紐を弓に張って、戦闘を再開し忍熊王オシクマノミコの軍勢を追撃したんだ。

逢坂(京都滋賀府県境)まで逃げて、反撃したけど神功皇后の軍勢に追い詰められ、沙々那美ササナミ(琵琶湖西岸か)で敗北したよ。

忍熊王オシクマノミコ伊佐比宿禰イサヒノスクネは追い詰められ、
海に身を投げて二人とも死んでしまったんだ。

建内宿禰タケウチノスクネは禊(みそぎ)をしようとホンダワケ(応神天皇)を連れて、越前の敦賀(ツルガ)に仮宮を建てて滞在していたんだけど、敦賀の神「伊奢沙和気イザサワケ」が夢に出てきたよ。

伊奢沙和気イザサワケが、自分の名前をその子(ホンダワケ)の名前に変えたいと言ったので、
快諾すると、明日の朝、名を変えた『しるし』を差し上げるので浜にでなさいと言ったんだ。

翌朝、浜辺に行ってみると、鼻の傷ついたイルカが、集まっていたので
ホンダワケ(応神天皇)は神より、食料の魚をたまわったと言ったよ。

その神を御食津大神ミケツオオカミ(御食:ミケツ=神の食べる食物・天皇が食べる食物の意味)と名づけたんだけど、現在では気比大神ケヒノオオカミと言うんだよ。

イルカの鼻の傷から出た血が臭かったので、その浦を「血浦(ちうら)」と言うんだけど、なまっていって現在は「都奴賀(つぬが)」と言うよ。

ちなみに、この神と太子の名前交換、伊奢沙和気イザサワケ誉田別ホンダワケを交換したことになるけど その記録はないよ。

応神天皇が大和に帰ってくると、母親の神功皇后は酒を造って待っていて
歌を歌い、お酒を献上して、とっても楽しい宴会をしたんだ。

この宴会は応神天皇の成人式であり神功皇后の後見はここでおわるよ。

神功皇后は100歳まで生きたよ。