日本神話(古事記)

[32]ヤマトタケル二度目の平定の旅

出雲を平定して大和に戻って天皇に報告したヤマトタケルだったけど
すぐに天皇から次の指令「東の12カ国のあらぶる神々や従わない人間達を従わせよ!」が与えられたよ。

そして御鉏友耳建日子ミスキトモミミタケヒコを副官に付け、ヒイラギで出来た八尋矛(ヤヒロホコ)を授けたんだ。

命令を受けたヤマトタケルがまず向かったのは、伊勢神宮だったよ。
そこで、叔母のヤマトヒメに「お父さん(景行天皇)は私に死ねばいいと思ってるのでしょうか?」と泣きながら訪ねたんだ。

西のクマソタケルを倒したのに、すぐにまた東の悪人を倒せというなんて、
しかも兵士もつけてくれないなんて、死ねばいいと思っているとしか思えないと、悲しんだよ。

そんなヤマトタケルを見かねた叔母のヤマトヒメは、三種の神器のひとつ「草薙の剣」と袋を一つ与えて急な危険にあったらこの袋をあけるよう言ったよ。

ヤマトタケルが尾張の国(今の愛知県らへん)に着いたところで、美夜受比売ミヤズヒメの家に泊まったんだ。

この人を妻にしたいと思ったんだけど、東国を平定して帰ってきたときに結婚しようと思って
美夜受比売ミヤズヒメと結婚の約束だけして東国へ向かい、平定したよ。

相模国(現相模)へ到着したとき、相模の国造はヤマトタケルに
野の中にある大きな沼に乱暴な神様が住んでいると言ったので
ヤマトタケルは野に入ったんだけど、そのスキに国造が野に火を放ったんだ。

騙されたと気づいたヤマトタケルは、ヤマトヒメからもらった袋をあけたよ。
すると火打ち石が入っていたので、周辺の草をクサナギの剣で薙ぎ払ってから火打ち石で火をつけて迎え火をして、火を退かせたんだ。

無事戻ってから相模の国造を斬り殺したよ。

それから走水海(ハシリミズノウミ)を渡ろうとしたとき
海の神が波を起こして、船を進めなくしてしまったんだ。

そこで正妻の弟橘比売命オトタチバナヒメノミコト
ヤマトタケルの身代わりになって海に身を投げ、ヤマトタケルには
東国を平定するという任務遂行するよう言ったよ。

弟橘比売命が畳のイカダに乗ると、荒波は穏やかになって、ヤマトタケルの船は進むことが出来たんだ。

そのとき弟橘比売命はこんな歌を歌ったよ。

さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中(ホナカ)に立ちて 問ひし君はも

歌の訳は
相模の野原に燃える炎その炎の中に立っても
私の安否を呼びかけてくれた夫よ、
そんなあなたの気持ちが忘れられないわ
という意味だよ。

それから七日後に弟橘比売命の櫛が海岸に流れついたので
ヤマトタケルはその櫛を手にとって、お墓を作ったんだ。

ヤマトタケルはそこから奥へと進むと、荒々しい蝦夷(本州の北東にいる反抗的な部族)がいたんだけど、これらをことごとく平定して、山や川の神々も平定したよ。

大和へと帰ろうと 足柄峠(神奈川と静岡の間)に着いたときに乾飯カレイイ【保存用に乾かした飯】を食べていたら、坂の神が白い鹿に化けてやってきたので、
食いかけの蒜(ヒル)という臭いの強いネギ科の植物の端切れを投げつけると、
目に当たって死んでしまったんだ。

ヤマトタケルはその坂に登り、三度ため息をついて

「あぁ、妻よ」

と言ったのでこの辺りを阿豆麻(アヅマ)と呼ぶようになったんだ。