24代 仁賢天皇
顕宗天皇の兄、意富祁命こと仁賢は石上の廣高宮(イソノカミのヒロタカノミヤ:奈良県天理市石上町)にて、天下を治めたよ。
雄略天皇の子供の春日大郎女を妻として産んだのが高木郎女
次に財郎女、
次に久須毘郎女、
次に手白髮郎女
次に小長谷若雀命(=武烈天皇)
次に眞若王と
丸邇日爪臣の娘の糠若子郎女を妻として産んだ子は
春日山田郎女の合わせて7名だよ。
25代 武烈天皇
小長谷若雀命(オハツセノワカサザキノミコト=武烈天皇)長谷の列木宮(ナミキノミヤ)に居て8年の間、天下を治めたよ。
跡継ぎがいなかったので、品太天皇(ホムダノスメラミコト=15代応神天皇)の5代あとの孫であり
衰本杼命(=継体天皇)を近淡海国(チカツオウミノクニ)から呼び寄せ、手白髮郎女を妻にして天下を治めたんだ。
26代 継体天皇 以降
26代 継体天皇は、15代 応神天皇の五代目の孫だよ。享年43歳。御陵は三島の藍の御陵でよ。
27代 安閑天皇は、継体天皇の息子で子はおらず、御陵は河内の古市の高屋の村だよ。
28代 宣化天皇は、安閑天皇の弟で子は五名いたよ。
29代 欽明天皇は、宣化天皇の弟で子は25名いて、そのうちの一人が次の天皇になったよ。
30代 敏達天皇は、欽明天皇の子供で他田宮で天下を治めたよ。
31代 用明天皇は、敏達天皇の弟で御陵は石寸(いわれ)の掖上(わきがみ)にあったのを後になって科長(しなが)の中に陵に移したよ。
32代 崇峻天皇は、用明天皇の弟で倉梯柴垣宮で天下をおさめたよ。
33代 推古天皇
33代 推古天皇は、崇峻天皇の妹で、小治田宮で37年の間、天下を治めたよ。
こちらは有名な天皇だね!そう!あの聖徳太子こと厩戸皇子が活躍した時代の、初の女性天皇だよ。
御陵は大野の丘の上にあったのを、後に科長の大きな陵に移したと書かれているよ。
推古天皇は波乱万丈な人生だったけど、古事記ではそれには触れられないまま、ここで終わっているんだ。