雄略天皇の息子白髪大倭根子命こと清寧天皇は伊波礼の甕栗宮(イワレのミカクリノミヤ:奈良県橿原市東池尻町の御厨子神社)にて、天下を治めたよ。
この天皇は皇后も子供もいなかったので、次の天皇となる方を探したら葛城の高木の角刺宮(ツノサシノミヤ:奈良県葛城市忍海の角刺神社)に履中天皇の息子である市辺忍歯別王の妹で忍海郎女別名を飯豊王がいることがわかったんだ。
山部連小楯が播磨(兵庫県)の長官に任じられとき、志自牟という男の新築祝いに招待されたよ。
宴会が盛り上がりみんなが舞いはじめたので、火の番をしていた二人の少年、意富祁命・袁祁命にも舞わせることにしたんだけど、二人が舞を譲り合っているのをみて、みんな笑ったんだ。
兄が舞って、次に弟が舞ったとき、弟は舞にあわせて履中天皇のこどもの市辺押歯王(イチノヘノオシハノミコ)の子孫ですと歌ったよ。
それを聞いた山部連小楯は驚いて転げ落ちて、皆を外に出し
二人の兄弟を膝に乗せ感激の涙にむせんで、仮宮に住まわせて大叔母の飯豊王は大いに喜んで兄弟を呼び寄せたんだ。
大魚と志毘臣
まだ二人が天下を治める前のこと、志毘臣という男が歌垣(歌バトルの会場)にでてきて袁祁命と結婚させようとしていた大魚という乙女の手を取って挑発してきたことがあったよ。
その会場にいた袁祁命は、恋のライバルの志毘臣に宮殿がボロいとディスられたので、宮大工の長が下手だから隅が傾いていると返したんだけどお前のこころがたるんでいるからだと返されたんだ。
シビ(=マグロ)のくせに妻がいるなんて笑いが止まらんと返してディスり合いのフリースタイルダンジョンは夜明けまで続いたよ。
やがて帰宅した兄のオケと弟のヲケは相談して、今ごろ確実に寝ている志毘を殺しにいくことにしたんだ。
それから、二人の兄弟は皇位を譲り合ったんだけど、結局弟の袁祁命が顕宗天皇となったよ。