允恭天皇の息子の穴穂御子こと 20代 安康天皇は石上穴穂宮(イソノカミノアナホノミヤ)今の奈良県天理市田町にて、天下を治めたよ。
安康天皇は、実の弟大長谷王子と仁徳天皇の娘若日下王を結婚させようと思い、仁徳天皇の息子大日下王の元へ根臣を派遣して、妹を宮廷にこさせるよう伝えたんだ。
根臣の嘘
大日下王もいつかこんな日が来ると思って、妹を大切に手元に置いておりましたと、
妹に押木の玉鬘(オシキノタマカズラ)という髪飾りを添えて送り出したんだけど
根臣が髪飾りを盗み取って、嘘の報告を天皇にしたよ。
大日下王が天皇の命令をしりぞけ、妹を同族の下働きにできるかと太刀を掴んで怒っていた」と聞いた天皇は怒り狂って大日下王を殺し、その妻の長田大郎女を自分の妻にしたよ。
ちなみに、直前に近親相姦のスキャンダルがあったばかりなのに、安康天皇と長田大郎女は同じ母親から生まれた姉弟だよ。でも他の文献では、長田大郎女は履中天皇の娘という記載があるので、だとしたら従兄弟だよ!セーフ!?
長田大郎女の連れ子
その後しばらくして、安康天皇が神床で昼寝をしていたとき、妻の長田大郎女に
「連れ子の目弱王が成人して父親を殺したのが、自分だと知ったら反逆する心を持つのではないか」と心配事を話していたんだけど、
神床の下で遊んでいた目弱王は、この話をしっかり聞いてしまったよ。
目弱王はまだ7歳だったけど、天皇が眠っているときに天皇の首を打ち切り、都夫良意富美の家に逃げこんだんだ。
このとき安康天皇は56歳だったよ。
お墓は菅原伏見の岡=奈良県奈良市宝来町古城にあるよ。