反正天皇の弟の男淺津間若子宿禰王こと允恭天皇は「遠つ飛鳥宮(トオツアスカノミヤ)」現在の奈良県高市郡明日香村大字飛鳥周辺にて、天下を治めたよ。
この允恭天皇が意富本杼王の妹の忍坂大中津比売命を妻として産んだ子が
木梨之軽王と、
長田大郎女と、
境之黒日子王と、
穴穂命こと20代天皇 安康天皇と
軽大郎女別名を衣通郎女。
あまりに容姿端麗でその光が衣を通って出てくるためこの名がついているほど美しいんだ。
さらに八瓜之白日子王と、
大長谷命こと21代天皇 雄略天皇と、
橘大郎女と、
酒見郎女だよ。
允恭天皇は初め病気だったため、天皇にならないと言っていたんだけど
皆のすすめで天皇になったんだ。
このとき新羅から来た大使が薬に詳しくて、天皇の病気は治ったよ。
允恭天皇は、氏族の人たちの氏姓(ウジカバネ)が経歴詐称だらけになているのを憂いて
本来のものに正したんだ。
允恭天皇は78歳で亡くなったよ。
御陵は河内国惠賀長枝(カワチノクニノエガノナガエ=大阪府藤井寺市)にあるよ。
近親相姦の大スキャンダル勃発
允恭天皇が亡くなったあと、息子の木梨之軽王が皇位につくことが決まっていたんだけど、天皇になる前に実の妹である軽大郎女と禁断の恋に落ちてしまっていたんだ。
そう、別名を衣通郎女という容姿端麗な妹だよ。みんな面食いだね!
母が違う場合の兄弟姉妹の恋はOKだったけど、同じ母から生まれた子同士の恋はタブーだったよ。
それもあって、すぐに宮中に知れ渡ったんだ。
宮廷の大スキャンダルに、木梨之軽王は恐ろしくなって大前小前宿禰大臣の家に逃げ込んで武器を作って戦いに備えたていたよ。
次の天皇候補、弟の穴穂命(=後の安康天皇)も武器を作り大前小前宿禰大臣の家を取り囲んだんだ。
大前小前宿禰大臣は兄弟と戦うのは人が笑うのでやめて、私が
木梨之軽王は妹の軽大郎女に恋しいと歌を歌いながら
松山の道後温泉に流されて行ったんだけど、軽大郎女も兄追いかけて行って二人で自殺したんだ。