大雀命(=仁徳)天皇は難波(ナンバ)の高津宮(タカツノミヤ)(=現在の大阪市東区法円坂町)で天下を治めたよ。
建内宿禰の子の葛城(カズラキ)の曾都毘古の娘の石之日賣命を正妻として
大江伊邪本和氣命(=履中天皇)、
墨江中津王、
蝮水齒別命(=反正天皇)、
男淺津間若子宿禰命(=允恭天皇)
の4人の子供を授かったんだ。
聖帝と呼ばれた仁徳天皇
仁徳天皇は、ある日高い山に登って四方の国を見て「国見」をしたんだけど、
国のどこにも釜戸の煙が出てなくて、国中の民が皆、貧窮していることを知ったよ。
それから三年の間、すべての民の租税などを免除したんだ。
それもあって、天皇の住む大殿が壊れても修理することもできず、雨漏りを避けて暮らしていたよ。
三年経って国の様子を見てみると、いたるところに釜戸の煙が滿ちていたんだ。
民がようやく豊かになったとき、労役や納税を再開したよ。
これで百姓は栄えて、勤労奉仕に苦しまなくなったので仁徳天皇の時代を讃えて聖帝(ヒジリミカド)の世と呼ばれたんだ。
そんな聖帝と呼ばれた仁徳天皇の大后(オオキサキ=正妻)の石之日売命はとても嫉妬深かったので、天皇の妾(メカケ)(=側室)は宮中を歩くこともままならず、天皇の恋の噂など聞けば足をバタつかせて妬んだよ。
だけども、仁徳天皇は大の女好きで、石之日売命は、三人の女性にヤキモチを妬くことになるよ。